第33話「長崎の抜け穴・唐人屋敷からトンネルを」

■長崎の抜け穴 寛文6年(1666年)から慶應3年(1867年)までの長崎奉行所の判決記録「犯科帳」には、8,000件以上の事件が記録されています。その中でも、最も多い事件は、密貿易に関するものです。密貿易にも色々な手口があります。どんな方法で密貿易を行っていたのか、そしてそれが発覚した時の刑罰についてのお話です。
■女の獄門 その当時、女性の人権はほとんど認められていなかったので、女性が極刑にふされる例は非常に少なかったのです。しかし、長崎奉行所8200件余の内、女の身で獄門打ち首の刑に処せられた罪が、2件あります。いったいどんな罪だったのでしょう。
■漂流民の献立 弘化三年(1846年)、長崎に入港した唐船によって、唐国漂流の日本人4人が送り返されてきました。さっそく、牢屋に入れられ、取り調べをうけていましたが、ある日、この4人が脱走してしまいます。捕えられた2名は後に死罪となるのですが、その判決にあたり、幕府の採決を仰ぐために添えた事件の詳しい内容でわかったこととは?

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