「長崎御用書留」に残っている記録の中から、野母・高浜・椛島村で起こった出来事『琉球船漂流』『グラバーの返事』『いも盗人』『回米くすね』の四篇をお届けします。
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「長崎御用書留」に残っている記録の中から、野母・高浜・椛島村で起こった出来事『琉球船漂流』『グラバーの返事』『いも盗人』『回米くすね』の四篇をお届けします。
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「長崎御用書留」に残っている記録の中から、茂木村で起こった出来事・前編として、『漁場争い』『いわし事件』の二篇をお届けします。
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「長崎御用書留」に残っている記録の中から、日見・古賀村で起こった出来事、『大火の後』『庄屋と農民』『偽証』の三篇をお届けします。
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「長崎御用書留」に残っている記録の中から、戸町村で起こった出来事、『損害補償』『船中殺人』『居留地埋め立て』『強盗逮捕』の四篇をお届けします。
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「長崎御用書留」に残っている記録の中から、浦上村渕で起こった出来事・後編として、『暗闇からの発砲』『井戸端事件』『異人さんの贈り物』『アメリカ人の五島通い』の四篇をお届けします。
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「長崎御用書留」に残っている記録の中から、浦上村渕で起こった出来事・前編として、『縄筵納入』『干し鮑製造』『うその涙』『抜け荷の疑い』の四篇をお届けします。
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「長崎御用書留」に残っている記録の中から、浦上村山里で起こった出来事、『拝借銀』『それ弾』『盗まれた船』の三篇をお届けします。
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「長崎御用書留」に残っている記録の中から、長崎村で起こった出来事、『こじれた養子縁組』『浮気女房』『迷宮入り強殺事件』の三篇をお届けします。
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「長崎御用書留」に残っている記録の中から、長崎村で起こった出来事、『行き倒れのたらい回し』『町役人と村役人』『世間師』『トルコ人キンフリの一件』の四篇をお届けします。
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長崎県立図書館に、長崎代官の「諸伺付札留」という記録が残っています。これは、長崎代官が自分の管轄する長崎周辺の村々や天草の町村で起こった事件を記録し、その処理の仕方について奉行の応答を付札にして添えたものです。今回は、この「諸伺付札留 長崎村前篇」をお届けします。
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天領の長崎は長崎市中とされ、開港前の旧長崎市城下は長崎村とされ、その長崎を含めた郊外の郷村は長崎代官と呼ばれる役人が、行政・裁判を司りました。その長崎代官に関するお話です。まず、その仕事ぶりと裁判に関する記録をご紹介します。
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江戸時代をはじめ、ポルトガル人は排斥され、阿蘭陀人のみ貿易の特権を与えられます。ここで阿蘭陀人には二つの選択肢がありました。それまでの平戸から、政治の中心地江戸に近い土地に移るか、または、長崎に移るか。江戸近くの浦賀あたりに商館をおけば、バタビアから玄界灘を渡り、瀬戸内に入り、紀州沖、遠州灘を渡っていかねばなりません。阿蘭陀人たちは、この航路には自信がなかったようです。結果的に、我が国最先端の長崎に移りました。江戸と距離を置いた…結果的にこれが長崎の繁栄をもたらしたのでしょうが、開国後には反対にこれが障害となりました。今回は、そんなお話です。
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金と銀。これは世界中どこでも通用する通貨として使用されました。我が国では、流通経済の盛んな西日本では、生野銀山から継続的に算出される銀を主体に取引がすすみ、東日本では金が主体で、金・銀の交換比率は相場により変動し、江戸と大坂では国際為替にも似た取引が行われていました。ところが世界的には、新大陸からのメキシコ銀が大量に供給され、金と銀のバランスが大いに崩れます。結果的に、我が国では金に対して銀が相対的に過大評価され、外国人はこの差に注目します。日本で銀を金に交換し、上海で銀を金に交換し、その銀をまた日本に持ち込む、この繰り返しだけで、大きな利益が転がることになります。今回は、為替に疎い幕府を出し抜いて…というお話をお届けします。
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幕末・安政条約により、我が国は開国とあいなります。しかし、その開国によって、長崎は逆に衰退への道をたどります。条約と武力を背景に、各国の領事達は、幕府とその出先、長崎奉行に対して、様々な要望を矢継ぎ早に出してきます。幕府の指示が必要な長崎奉行は、領事達の要望に適切な対応ができなくなり、次第に当事者能力を喪失していくのです。長崎の歴史の中でも、最大の転機となった幕末の長崎を、各国との往復文書、特に長崎奉行とイギリス公使の対談記録を通してお届けします。
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元治元年8月5日、英米仏蘭の連合艦隊が下関を攻撃しました。その英国軍艦に一人の日本人が同乗していたらしい・・・。幕府は当然、その実態探索に血眼になりました。長崎滞在の英国人の手引きによるのものと、捜索の手は長崎にのび、長崎奉行はその容疑者として、藤田泰蔵と名乗る当時無宿の浪人者を捕えました。この浪人者、事実を認め一切を白状しましたが、幕府瓦解の寸前であり、本人の口書に書き留められたのみで、判決があったかどうかははっきりわかっていません。今回は、後の伊藤博文とも交流があった、藤田泰蔵の口書を中心にお届けします。
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■唐人船のお守り札 肥後国・阿蘇山衆徒の大徳方栄解は、「自分の寺の守り札を長崎市中に配ってほしい。そして唐船帰帆の安全守護祈祷ができるように斡旋してほしい」と、長崎大村町・田辺敬十郎に頼みました。敬十郎は、言葉巧みに栄解を騙し、金子を手にします。栄解の死後、後を継いだ栄観は、敬十郎の振る舞いがおかしいことに気づき、栄解が約束したことを破棄したいと告げます。すると、敬十郎は高圧的になり、偽りの書類等を並べ立て、さらに金子を要求してきました。断れず、金子を渡してしまった栄観ですが、その企みを訴える手段に出ます。敬十郎やその企みに加わった者は処分を受けました。いったいどのような処分だったのでしょう。
■追っ払い 江戸時代の刑罰に「追っ払い」処分があります。「追っ払い」処分は、自分の住んでいる町から追っ払われる軽微なものから、長崎から追っ払われる追放という重いものに分かれていました。追放処分を受けた者は人別帳からも除かれ、無宿者になるのです。その追放された無宿者が、再び長崎に舞い戻っているとわかれば、さらに重い罰「追っ払い立ち帰り」をうけることになりました。罪が重くなるとわかりながらも立ち帰りをする理由とは?
■くんちの裏側 華やかなくんちの裏側には、血が流れるような喧嘩や多数の負傷者が出たりするほどの大喧嘩、金銭に関する事件が起こっていました。それら事件の処分はいかに?
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■長崎の抜け穴 寛文6年(1666年)から慶應3年(1867年)までの長崎奉行所の判決記録「犯科帳」には、8,000件以上の事件が記録されています。その中でも、最も多い事件は、密貿易に関するものです。密貿易にも色々な手口があります。どんな方法で密貿易を行っていたのか、そしてそれが発覚した時の刑罰についてのお話です。
■女の獄門 その当時、女性の人権はほとんど認められていなかったので、女性が極刑にふされる例は非常に少なかったのです。しかし、長崎奉行所8200件余の内、女の身で獄門打ち首の刑に処せられた罪が、2件あります。いったいどんな罪だったのでしょう。
■漂流民の献立 弘化三年(1846年)、長崎に入港した唐船によって、唐国漂流の日本人4人が送り返されてきました。さっそく、牢屋に入れられ、取り調べをうけていましたが、ある日、この4人が脱走してしまいます。捕えられた2名は後に死罪となるのですが、その判決にあたり、幕府の採決を仰ぐために添えた事件の詳しい内容でわかったこととは?
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ウナギを食べるのは、土用の丑の日が一番良いという習俗は、いつ頃から起こったかというお話。そして、明の唐船主魏九官やその曾孫 民部から伝授された明清楽にまつわるお話。最後に、町中で交わされる会話を長崎弁でご紹介。最終話は、三つのお話をお届けします。
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1964年、かつてオランダ船に搭載されていたといわれ、なんらかの事情により海中に残されたものと思われる鉄製の大砲が、浦上川の出口、志賀の波止付近から引き揚げられました。その鉄製の大砲が引き揚げられた後のお話をお届けします。
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日本三名橋の一つともいわれている山口県・岩国市にある錦帯橋。錦帯橋が架かっている錦川は、雨により増水することが多く、その都度、橋が流失していたそうです。岩国藩主 吉川広喜は恒久的な橋梁をつくるべく、家臣に研究を命じます。架橋の前に相談をしたのが、長崎に居た明の帰化僧 独立禅師でした。前半は、錦帯橋と長崎が関係しているお話、そして後半は、中国から伝わった長崎ならではの「長崎ちまき(唐灰汁ちまき)」のお話をお届けします。
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島原城主・有馬晴信は、徳川家康の依頼を受けて、当時、高貴な香料だった伽羅(きゃら)を輸入するため、家臣を南支の占城へ派遣します。家臣は無事、伽羅を手に入れ帰途しますが、マカオのポルトガル人と大喧嘩をして、守備司令官ペッソア率いる兵に殺されてしまいます。その話を聞いた晴信は、烈火のように怒り、ポルトガル船の討ち取りを命じ、追い詰められたポルトガル船は爆沈します。ポルトガル船が爆沈するまでの顛末とそれを引揚げようとした人々のお話をお届けします。
※「長崎の民話特別編 郷土長崎の先人たち 第8話“中山要左衛門”“有馬晴信”」の回にも、有馬晴信が登場します。ぜひ、併せてお聞きください。
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日本三大遊郭といわれた丸山への門前橋・思案橋。この場所で、丸山へ「行こか戻ろか」と思案したので名付けられたといいます。その思案橋についての四方山話と、今は長崎の観光名所として知られている“グラバー邸”に起こった一大事、それを救った人物のお話をお届けします。
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長崎諏訪神社・長崎公園内にある「月見茶屋」は、創業明治18年。有名な「お諏訪さんのぼた餅」、今でも変わらず食することができます。そのぼた餅(べた餅)の歌を詠んだ、宮中・御歌所長・正二位勲一等男爵・高崎正風が長崎を訪れた時のお話と、ちゃんぽん、皿うどんの量にまつわるお話をお届けします。
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「おほらかに 稲佐の嶽ゆ 見はるかす 海もはろばろ 山もはろばろ」歌人・吉井勇の歌碑は、県下に9本あり、そのうちの一つ、上記の歌碑が稲佐山にあります。幾度となく長崎を訪れた勇は、数多く長崎にちなんだ歌を詠んでいます。今回は、勇が詠んだ叙情ロマンの香りに満ち、甘い長崎の情緒歌を織り交ぜてお届けします。
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永見夏汀は、明治23年8月、永見徳太郎と松本むらの3男として、長崎に生まれます。家業を継ぎ、倉庫業に励む傍ら、市会議員、会議所議員、十八銀行監査役などを勤め、ブラジル名誉領事にもなりました。夏汀は、油絵、写真、歌、郷土史の研究などもたしなむ文化人。中央から長崎を訪れる著名な文化人のほとんどを自宅に泊めてお世話をしていました。中央文化人を歓待することで、彼らが長崎を紹介する結果となりましたので、夏汀は長崎の観光面に大きく貢献しています。この回は、夏汀の職業人の顔と文化人の顔の両方をお届けします。
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小説家・芥川龍之介が二度目に長崎を訪れた、大正11年5月。この時、丸山の料亭「菊の家」の芸妓・照菊(杉本わか、後年料亭「菊本」)のために、「河童屏風」を描きあげました。その河童屏風、そして芥川龍之介と長崎についてのエピソードをお届けします。
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山形県生まれの歌人・斎藤茂吉は、大正6年12月、長崎医専精神科教授として長崎に赴任します。赴任してから、大正10年3月に上京するまでの間、茂吉は長崎にちなんだ歌を多く詠んでいます。20冊ちかい歌集の中でも、特に『つゆじも』には長崎を詠む歌が一巻の約三分の一おさめられています。この回では長崎にちなんだ歌と、長崎での茂吉の様子をお届けします。</br>※「長崎ものしり手帳シーズンⅡ 第18話ピナテールのこと」の回にも、斎藤茂吉が登場します。ぜひ、併せてお聞きください。
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昭和10年6月、北原白秋は長崎を訪れた際、伊王島にも足を運んでいます。この時の思いを「伊王島」として長歌一首と、返歌を発表しています。この回は、そのお話と白秋お得意の隠し芸や長崎でのエピソードを中心とした内容をお届けします。
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詩集「邪宗門」「思ひ出」、童謡「この道」「ペチカ」「赤い鳥 小鳥」などで有名な詩人・北原白秋。白秋は、二度、長崎を訪れています。一度目は明治40年。与謝野鉄幹、平野万里、吉井勇、木下杢太郎らと九州西部を中心に旅した際に来崎。この時の紀行文がかの有名な「五足の靴」です。そして二度目の来崎となるのが、昭和10年6月。三菱造船所から招かれ、白秋は長崎を訪れました。この回は、その時の様子やその後について、門下生の島内氏が白秋に思いを馳せつつしたためた内容をお届けします。
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文明開化の時、「人は右・車は左」の通行の原則も定められました。「せからしか」と色々と軋轢もあったようで…というお話と、諏訪公園の防犯灯のお話です。
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長崎街道の難所のひとつ、矢上から長崎旧市街に入る難所中の難所、日見峠。明治に入ると、日本最初の有料道路が開削されます。有名のような、あまり知られないエピソードです。
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